『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の公開から2ヶ月が経ちました。
感情的になって書いたレビュー記事からは一呼吸置き…
『スカイウォーカーの夜明け』は、スター・ウォーズサーガを締めくくる物語としてふさわしかったのか?
という問いを、語られたストーリーという視点から考察・検証していきます。
・キーワードは“スカイウォーカー”
・本家エンディングのエピソード6との比較をメインに分析
あえて、公開前特集であった<夜明けの待ち人>のパート3としてお届けしようと思います。
スター・ウォーズ6部作神話が描いたもの
ストーリーの主軸とは?
改めてな疑問となりますが、「スター・ウォーズ」という物語は何をテーマにしているのでしょうか?
愛と喪失の物語
や
スカイウォーカー親子の物語
とはよく言われますね。
とにかく物語の大筋は、フォースを持った“超人“「ジェダイ(ヒーロー)」と「シス(悪者)」の争いと生き様を中心に進んでいきます。
プリクエル三部作では、“超人”軍団ジェダイ・オーダーvsシス卿の争いと、かつてないフォースの強さを持つ「選ばれし者」アナキンの成長物語が主題。
オリジナル三部作は、賢者ベン・ケノービに導かれた“フォースの強い”青年ルーク・スカイウォーカーが、邪悪な帝国のダース・ベイダーに立ち向かう話。
つまりスター・ウォーズ六部作は、物語として王道である「ヒーロー成長物語」であり続けました。(神話的な物語展開)
まあ、当たり前ですよね。。
そりゃ、ルークというヒーローに自分を重ね合わせてワクワクし、ヨーダとかダース・ベイダーとか超人的なパワーを持つやつらが光る剣振り回して戦うの観ると興奮しますし。
『エピソード6/ジェダイの帰還』というエンディング
そんな「ヒーロー物語六部作」の最後を締めくくるのが『エピソード6/ジェダイの帰還』。
素晴らしいハッピーエンドですよね。大好きです。。
前作「帝国の逆襲」の暗いトーンとは正反対で、
・ルークは闇からの誘惑に打ち勝ち、父の良心を信じ切ることで、悪の皇帝に勝利。
・ベイダーには良心が残っていて、最期に善なる「アナキン・スカイウォーカー」として帰還。
・ハンとレイアの愛も、ついにめでたく結ばれる。
そして、大好きな登場人物たちが悪の消え去った銀河で、キャンプファイヤーを囲んで笑顔で踊り、勝利を祝福する。
つまり、良心の完全勝利。
負けたのは、絶対悪ダース・シディアスとその帝国。
EP6というエンディングにより、スター・ウォーズサーガは「ヒーローによる勧善懲悪物語」として美しく締めくくられました。
こんなに綺麗に締まってるからこそ、
「これの続編作るから、EP6を塗り替えるエンディング作ってね!テヘッ!!」
というのはかなりの無理ゲーです。
スター・ウォーズ6部作神話が描いていないもの
「ヒーロー」が戦う理由とは?
それでは、少し視点をずらして、「そのヒーローたちは、何のために戦っているのか?」という問い。
ジェダイは「銀河の平和と正義の守護者」です。
彼らは、「シス」「帝国」「ファースト・オーダー」と形を変えて常に存在してきた悪から、銀河の人々を護るために戦ってきました。(マズ・カナタの言葉より!)
たとえば、
EP1、シスの策略「ナブー危機」で最も苦しんだのは誰か?
「壊滅的な数の犠牲者が出ております。奴らの要求を呑むしかないでしょう。どうかご連絡を。」
by ナブー総督 シオ・ビブル(エピソード1)
貿易を封鎖され、飢えた惑星ナブーのシード市民たちでした。
帝国の圧政で最も苦しんだのは誰か?
「フォースの乱れを感じた。何百万もの声が一斉に悲鳴を上げたかと思うと、すぐに沈黙が訪れたのだ。」
by ベン・ケノービ(エピソード4)
故郷もろとも木っ端微塵となったオルデランの人々でした。
そう。
いつも犠牲になるのは、非力な銀河市民たち。。。
「ジェダイ・オーダー」「反乱同盟軍」「レジスタンス」ら光の存在は、
巨悪に踏みにじられる「一般市民」のために戦ってきたはずです。
その時市民は動いた?
さて、ヒーローが悪に立ち向かう時、当事者である銀河市民たちは何をしていたのでしょうか?
と問いたいところなのですが、このテーマは物語の中心となることはなく。。
スター・ウォーズ六部作は、どこまでいってもヒーローの物語でした。
一応、反乱軍がモンカラマリなど民間の寄せ集めであることや、グンガン族、イウォーク族の加勢はありました。
しかし、あくまでも大事な場面で活躍するのはダース・モールを倒したオビ=ワンであり、ベイダーと対峙するルーク・スカイウォーカー(と実際に皇帝を倒したベイダー)でした。
ヒーローこそが悪を倒すのです。
銀河市民はヒーローたちの勝利を喜ぶ、被害者止まりの受け身な存在、よくてもヒーローのサポート役であり続けました。
▼勝利に湧くシード市民(EP1)
▼デス・スター破壊に湧くコルサント市民(EP6)
“続”三部作が辿ってきた道筋
先程述べた「EP6を塗り替えるエンディング作ってね!」を実際に言ってしまったのがディズニー。。
パンドラの箱を開け、どのような「新たな視点」を見せてきたのか?
まずは、過去2作の物語が描いてきたストーリーを振り返ります。
シークエル時代の一般市民(EP7)
まず『エピソード7/フォースの覚醒』では、この記事で注目している一般市民たちはどう描かれてきたのでしょうか?
やはり直接は描かれませんが..
①ファースト・オーダ-という圧倒的な悪の組織による支配下
②その超兵器スター・キラー基地による壊滅的な破壊を受ける(ホズニアン・プライムなど壊滅)
あれ?
①銀河帝国という圧倒的な悪の組織による支配下
②その最終兵器デス・スターによる壊滅的な破壊を受ける(オルデラーン壊滅)
エピソード4と全く同じ構図ですね。
ただのパクリとも言えますが、
「同じ構図を違う時代が経験した時、どのような変化が起きるか」
を映し出すにはもってこいな舞台装置ではないでしょうか。
そもそもエピソード6のエンディングから20数年のうちに、『エピソード4』とほぼ同じ危機的状況を持ってきている時点で、
外にいる「悪(帝国)」への勝利を果たしても、銀河の人々が「内なる闇」に勝てないと、またすぐに「外部の悪(ファースト・オーダー)」の存在から唆されてしまう人間の弱さを暗示しているかのよう。。
(小説『ブラッドライン』を読めば、この部分は明らか。すぐに人々は平和ボケして、くだらないスキャンダルで英雄レイアを貶めた。)
今となってはエピソード7から、そんな意図を感じます。
スポットライトの位置が変わる(EP8)
続いて、『エピソード8/最後のジェダイ』は前作で示された方向性を、大きく進展させました。
①戦う目的を明確にした
「ファースト・オーダーは私たちの故郷の鉱石を掘りつくすと、兵器の実験場にした。」
by ローズ・ティコ
カントバイトでローズが自分の出自を打ち明けるシーン。
ファースト・オーダーの蛮行により、故郷を追われた過去を語ります。
今一度、「悪に踏みにじられる一般市民を助ける」というレジスタンスが戦う理由を再認識させました。
②フォースは一部の超人だけが持つ者でないことを示した
「フォースはジェダイが持つ力ではない。」
by ルーク・スカイウォーカー
「レイが誰の子供か」を議論するファンをよそに、わざわざルークの口からこの言葉を言わせました。
元々ジェダイだって子供を持つことは禁止されていて、銀河中に生まれるフォースが強い子供を引っ張ってきてるから、遺伝が全てではなかったのですが。。
そもそもEP4でベン・ケノービが「フォースは”ジェダイに力を与える”ものだ」と明言しています。
フォースってもっと普遍的な概念のはずなんです。
テミリ・ブラックみたいなのがいるのが普通の世界。
あの程度の出演の方が、逆にその「自然さ」を出せている。
③”人々”に助けを求めた
「レイアを信じる人々が、きっと救難信号に気付いて助けに来る。」
by フィン
オーガナ将軍は、自分たちだけでは敵に勝てないことを認め、アウターリムの仲間たちへ救難信号を発信します。
皆が絶望に暮れる中、励ましの言葉を発したフィンは “People” という言葉を使いました。
これとっても大事で、名のあるキャラクターですらない抽象的な「人々」へ助けを求める、というこれまでにない画期的な展開です。
+EP6のオマージュを取り入れる
これ!
演出的意味からめちゃくちゃ大事なのが、スノーク戦がEP6のパルパティーン戦と全く同じ構図を踏んでいること。
玉座の間で絶対悪(パルパティーン/スノーク)と揺れる裏切り者(ベイダー/カイロ・レン)に果敢に立ち向かうヒーロー(ルーク/レイ)。
一方、ヒーローが守るべき仲間(反乱軍艦隊/レジスタンス船団)は、策略(エンドアの待ち伏せ/DJの裏切り)によって瀕死の危機に。
ヒーローは「お前が闇に堕ちれば、仲間は助かる」という誘い文句にたじろぎます。
しかし、それでも裏切り者の改心を信じ抜くヒーローの姿に心打たれた裏切り者が反逆し、悪を打ち倒します。
ほぼ一致。笑
もちろんその前の文脈や結末は違いましたが、大事なのは、このオマージュをEP9じゃなくて、8でやったこと!
EP9で、王道の締め方をするという選択肢を捨て去ったのに等しいからです。
まさか3度も同じ事するはずがないですからね。したとしてもサムくなるだけですからね。まさかね。
→つまるところ…?
『最後のジェダイ』は、スター・ウォーズを「ヒーローだけの物語」という路線から逸脱させ始めました。
そしてEP9を前にして、超人のみによる王道エンディングを自ら投げ捨てた、”衝撃”の作品だったのです。
※筋はとっても良くて、描き方がクソほどに残念な映画ナンバーワン!
タイトルの発表
そして、発表された映画タイトル。
『スカイウォーカーの夜明け』
“Rise”が「夜明け」と訳されたことから、
「スカイウォーカーという新たな時代(概念)が幕を開けるのでは…!」と妄想。
これは、EP6と全く違う新たな時代を築くエンディングになる、と期待を膨らませたのでした。
“スカイウォーカー”という物語の主軸
シークエルの「唯一の希望」
ここまでを踏まえてのチュン・ソロの個人的な意見ですが、スター・ウォーズという物語にあえて続編を創る意義を見出せるのであれば、この一点だったのではないでしょうか?
それはつまり、
“スカイウォーカー“という最強ヒーロー血族の名前を、
親・血縁や過去の行いなどと関係ない「希望のために立ち上がる意志」と再定義すること。
フォースが真の意味で人々の手に渡るのです。
こうしてこのサーガは、フォースを使える超人(ヒーロー)の活躍を描きながらも、暗に「銀河市民(人々)」が変わらないと何も変わらない現実を突きつけるのではないでしょうか?
こうして原作をリスペクトしながら、これまでの6部作では描かれなかった新たな視点を提示することができるのではないでしょうか?
そして実際に、レイやフィンの出自も、エピソード7・エピソード8の物語も、そして「スカイウォーカーの夜明け」というタイトルも、予告編で登場した大船団も、この結論に向かって走っているかのように見えました。。。
結局何を見せられたのか?
完全に後出しじゃんけんですが、言語化できてなかったですが、
チュン・ソロは心の中に、サーガ革新への高まる期待を胸に抱え、上映開始当日に劇場へと足を運びました。
しかし、そこで観たストーリーは…
血縁から強いフォースを持つレイ・パルパティーンが、
死んだはずの超人ジェダイたちから力を得て、
死んだはずの絶対悪パルパティーンに立ち向かうクライマックス。
ゾンビ映画以上にゾンビ映画である。
私の見方ですが、
この終わり方のせいで、スター・ウォーズのエンディングは「ただ焼き直された」どころか「方向性を見失った」としか思えなかった。
綺麗に畳まれたサーガを、丁寧に開いてたのに慌ててぐちゃっと閉じた感じ。
マラソンで40km地点まで素晴らしい走りを見せてきたのに、最後の2kmで突然車に乗ったみたい。
結局、銀河の命運が握られたのは、超人的なパワーを持つパルパティーン爺と孫娘の戦いでした。
「人々の意志」を象徴すべく、エクセゴルへ勢いよく登場したかと思われた民間船団は、完全なる背景と化しました。
数を活かすような作戦があったかと言われればそうでもなく、パルパティーンの「超スーパー・サンダーボルト電撃雷フォース・ライトニング」の前にやられるがままでした。レイ頼み。
せめて、”Rise” という言葉は過去のジェダイではなく、今を必死に生き抜いてきたレイア、そして銀河市民からレイへ贈られるべき言葉であった。
そして、ベイダーの娘であることを恨み、”スカイウォーカー”という血縁で苦しんできたレイアが、
銀河市民に働きかけて、最終決戦の地へと導く(=スカイウォーカーの意味を昇華させる)という流れであればどれだけアツかったことか。。
そんな想いが生み出したのが、↓このオリジナルエンディング。
つまるところ、この記事で”Another Skywalker Story”の意図や裏話を延々と書いていたってことです。
まとめ
はい。
ぐじゃーっと湧き上がっていた感情を、なるべく順を追って、これまでの作品も参照しながらまとめてきました。
ええ、完全に勝手に期待して勝手にショックを受けた訳です。
チュン・ソロの魂は「夜明け」を見出せず、ふわふわと漂い続けることに。
図らずも、永遠に「夜明けの待ち人」となるのでした。
↓第一弾と第二弾の記事です。
<夜明けの待ち人>第一弾
<夜明けの待ち人>第二弾
※あくまで「ストーリー」という点から私の思う感想です。他の要素では面白いと思っている部分ももちろんあります。
※作品全体を否定している訳ではありません。
それでは次に会う時まで、May the Force be with you….