『エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』公開直前記念でお贈りしている特集<夜明けの待ち人>。
前回の記事でシークエルが、ハッピーエンドなオリジナル三部作の後に続く辛い時代を描く「継承の物語」であると表現しました。
さて….
<夜明けの待ち人>第2弾の今回は、「なぜルークにベンを救うことはできないのか?」をテーマにヨーダの教えも踏まえて、その理由から見えてくるシークエルの遺産を探求していこうと思います。
ルークはベンを完全には見捨ててない?
はい、タイトルでは「ルークにベンは救えない」と書きましたが、
大前提として、ルークは「自分に」救えないというだけで、ベンを完全に見捨てた訳ではないのです。
これは「フォースの覚醒」と「最後のジェダイ」での、レイアとルークのセリフから明らかです。
『エピソード7』でのレイア
“There’s still light in him, I know it.”
(まだ彼の中には光があるの。)
by レイア・オーガナ
レイアはベンにはまだ光が残っていることを感じていました。そして、信じていました。
ちなみにこの言い回し
“There’s good in him. I know. I know there’s…still…”
(まだ彼には良心が…そう…まだ…)
by パドメ・アミダラ(エピソード3)
死に際のパドメが、オビ=ワンに託した最期の言葉と重なりますね。。
母娘の美しい対比。
「善悪」が「光闇」に変わっているのも興味深し。。
『エピソード8』でのルーク
しかし、『最後のジェダイ』でレイアはクレイトで、ルークとこんな話をします。
ルーク:
“I came to face him, Leia. And I can’t save him.”
(ベンに立ち向かうために来た。私には彼を救えない。)
レイア:
“I held out hope for so long, but I know my son is gone.”
(希望を持ち続けたけど、もう私の息子は戻らないわ。)
ルーク:
”No one’s ever really gone.”
母であるレイアですらあきらめているのに、ルークはあきらめていませんでした。
“No one’s ever really gone.” という名言は訳すのが難しいですが、チュン・ソロなりの意訳をすれば「誰しも完全に暗黒面に堕ちることはない」かと。
オビ=ワン、ヨーダなど皆に大反対されながらも、父ベイダーを信じ抜いたルークだからこそ言える重みのある言葉ではないでしょうか?
鳥肌、、、
エピソード9の予告動画にも登場しているセリフですね。(ここだとまた意味が違う。。)
また、丸腰状態のラダス司令室にいたレイアを撃てなかったという行動からも、ベンが完全に暗黒面に堕ちた訳ではないことが明らかと言えるのではないでしょうか?
なぜ”ルーク”には救えないのか?
それではなぜ、そのルークにベンを救うことができないのでしょうか?
オビ=ワンに「既に人間というよりも機械だ」と言わしめたベイダーを救えたルークに?
結論から言えば、現在のルークは、以前オビ=ワンがいた「場所」にいるからです。
どういう意味か。
ここで思い出して欲しいのが、旧三部作でのオビ=ワン・ケノービ、そしてヨーダの言動。
ますは、アナキン闇堕ち後のオビ=ワンの言葉を振り返ります。
裏切られた師匠オビ=ワン
『エピソード3/シスの復讐』にて、マグマ燃え滾るムスタファでアナキンとオビ=ワンは、「運命の闘い」を繰り広げました。
戦う前から決着に至るまで、2人はずっと口論してます。
でも、これほとんどは、ジェダイによる裏切りか皇帝による裏切りか、というどちらの見方が正しいかを争う議論でした。(議論と言っても水掛け論ですが…。)
アナキンは「掟を破り続けるジェダイ・オーダーの欺瞞」を叫び、オビ=ワンは「共和国・民主主義の理念への忠誠」を主張します。
しかし….
最後の最後に、ここまでと全く違う、オビ=ワンのありったけの「感情」が溢れ出た言葉が発せられるのです。
“You were my brother, Anakin! I loved you!”
(お前を弟のように思っていた。愛していた。)
by オビ=ワン・ケノービ
ここでチュン・ソロが注目したいのは、“loved” が「過去形」であるということ。
ジェダイ聖堂のホロカメラで見た光景のことが、闇に堕ちたアナキンと実際に向き合って話しても、パドメの首を絞める姿を見ても、セーバーを交えて戦っても、オビ=ワンには信じられなかったのです。
まさか、あの弟のように想ってきた弟子が。。。
もし、アナキンから「悪かった、助けてくれ」の一言さえあれば、オビ=ワンはたとえ銀河全てを敵に回しても、アナキンに生きるチャンスを与えたと思うんです。
心のどこかでオビ=ワンはそう願っていたはずです。。
(共にパルパティーン退治に向かい、その後「英雄」アナキンは死んだことにして、銀河外縁部の果てでひっそりと暮らさせるみたいな)
ですが、アナキンのしでかしたことの大きさから見て、オビ=ワンから手を差し伸べるという選択肢はなく。。
結局、左腕と両脚を切り落とされ、マグマに体を焼き尽くされながら、アナキンの口から出た言葉は
「お前が憎い」
の一言。
この瞬間、オビ=ワンの中でアナキンは帰らぬ過去の人となった、というか帰らぬ人とした(EP6でいうアナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーに殺された)、、と想像します…。
重なるオビ=ワンとルークの決して癒えない傷
オビ=ワンとアナキンの関係は、このような形で完全に断絶してしまいました。
さて、ルークとベン・ソロの関係性はどうでしょうか?
完全に同じとは言えないですが、「裏切る弟子」と「裏切られる師匠」という構図は共通しています。
ルークも悲劇を見てしまったのです。
ベン・ケノービが見た光景を。。
焼け落ちるジェダイ聖堂…
惨殺された弟子たちの屍…
文字通り「最後のジェダイ」となったルークには、銀河の自由と平和や、「息子を立派なジェダイに」というレイアの想いを護る責任が、その肩にずっしりと載っているのです…。
そんな立場になったからこそルークにとって、感情的にも、立場的にもベンのことを簡単に許すことなど言語道断なのです。
このルークとベンの関係性を映画の中できちんと描かないから、新キャラの立ち位置がよく分かんなくなる。。これは「余白」ではなく、単なる「白紙」。
失敗こそ最高の教師
ヨーダの失敗
話は旧世代、ヨーダへと戻ります。
基本的に、アナキンの闇堕ちについて、ヨーダもオビ=ワンと同じ考えを持っていました。
象徴的なのはこの言葉でしょう。
“If once you start down the dark path, forever will it dominate your destiny. Consume you it will, as it did Obi-Wan’s apprentice.”
(一度、ダークサイドに堕ちてしまえば、そやつの運命は永遠にその虜となる。オビ=ワンの弟子のようにな。)
by ヨーダ(エピソード5)
ヨーダでさえアナキンは救えませんでした。
ルークに対しても「悪の権化ベイダーと戦って皇帝をやっつけろ」の一点張り。。
ダークサイドについての質問も、遮って止めるほどに嫌いました。
しかし、結果としてルークは父の良心を信じ抜き、「アナキン・スカイウォーカー」を帰還させることに成功したのです。
つまり、ヨーダは間違えていたのです。
エピソード6で完結していれば、「オビ=ワンもヨーダも間違っていました。ルークの強い想いが父を、銀河を救いました!」
めでたしめでたし!と終わっていました。
しかし、話は続くのです….
ヨーダの学び
いわば、ヨーダは二重の失敗を犯したことになります。
①グランド・マスター(最高責任者)として率いたジェダイ・オーダーの崩壊
②ルークに対し、裏切り者ベイダーを殺せという結果的に間違った指示を出した失態
しかし、ここで大事なことはヨーダは「学んだ」ということです。
惨劇を目の当たりにした師匠には、弟子を救うことなどできないことを。
しかし、一度、ダークサイドに堕ちた人であっても、ライトサイドに帰還できることを。
そして、やがて悲劇が歴史となった時、堕ちた人が抱える苦悩に対し、先入観なしで救いを差し伸べられる新たな世代がやってくることも。
だからこそ、フォースゴーストとなって姿を現したヨーダは、ルークに改めてこの言葉を贈るのです。
“Pass on what you have learned.”
(己の学んだことを伝えるのじゃ。)
by ヨーダ
「お前はベン・ソロを失った。レイは失ってはならん。」
「失敗こそ最大の教師じゃ」
目の前のベンの葛藤に対して、過去への負い目や先入観なく向き合えるのはレイのみ。
悲劇の傷が残る旧世代のルークにできることはありません。
でも「誰しも光へと帰還できる」、そのことを誰よりも深く知っています。
だからこそ、ルークは「自分で戦う」のでなく、「次世代に託す」という道を選びました。
その姿は、デス・スターでベイダーに立ち向かい、若きルークに「新たなる希望」を託したオビ=ワンの姿と重なります。。
ヨーダの言葉がなければ、ルークはレジスタンスを救うための行動を起こすことはなかったでしょう…。
だから、「継承」の物語なんです。
ヨーダとオビワンからルークへ。
ルークからレイへ。
折れたり、曲がったりしながら、受け継がれていく教え。
“Pass on what you have learned.” という言葉に底なしの深みを感じます。
というか、この一文がシークエルを定義しているといっても過言ではない。。
正直この1点のみで、しょうもない演出だの、魅力のない新キャラだのといった「些末な欠点」は吹き飛び、シークエルは偉大な方向性を示したと感じてしまう私チュン・ソロでした。
まとめ
今回はめちゃくちゃ考察を重ね、全作見直して「このセリフはどんな感情から発したのだろうか?」「ここと重なるシーンはないか?」と網羅して編み出した力作のつもりです…。
最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました!
正直、これ書きながら段々とシークエルの凄みに引き込まれてしまった感がある。。
簡単に心を変えるのは難しいかもしれませんが、スカイウォーカーの夜が明ける前に、ぜひ『最後のジェダイ』観返してみてください。
といっても、
12/13 21:00~『スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』
12/20 19:56~『スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ』
が金曜ロードショーで公開されるようですが。。笑
↓ちなみに、同じ人が書いた記事がこちら。笑
はい、100%OKどころか、作品のほとんどは好きな訳ではありましぇーん。。。汗
あくまで「ルークの物語」として、です。
さて….
二重の失敗を経験から学んだヨーダがいても、銀河の自由と平和を取り戻すために、1つだけまだ足りないものがあると思うのです。
それは「銀河の人々」?
果たして「スカイウォーカー」とは?
このテーマを次回第三弾で扱っていこうと思います。
▼第三弾書きました。
それでは次に会う時まで、May the Force be with you….
水を差すようですが、デス・スターでのオビ=ワンとクレイトのルークの美しい対比には、少々違う点があります。一番大きいのが「次世代の希望を逃す意図」。オビ=ワンは老いでベイダーに敵わないため、ルークにベイダー打倒を期待して逃がしています。オビ=ワンは学ぶ前の状態でしたね。
という蛇足的な余談でした。笑
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次回もお楽しみに!